気分の波でサーフィンしようよ

気分の上下を乗りこなすための奮闘記と、カウンセリングの記録が主です。思いつくままに書いてるので文章がめちゃくちゃなことがよくあります。twitter→@gake_hake

カウンセラーに話したいこと。

誰かを繋ぎ止めようとする時、私はすぐに身体を差し出してしまう。

簡単だ。そんなことは簡単にできる。身体をさしだせば相手はよろこぶし、私は性欲が満たせるし、そんなことはだから簡単だ。

なのにあとから襲ってくる罪悪感と虚無感は何なのだろう。私が選んでした事なのに、辛くなるのは何故なんだろう。望んでしたはずなのに、何故こんな惨めな気持ちになっているのだろう。

相手は私を想ってくれているのに、それで満足できないのは何故なんだろう。思い遣りって何なのだろう。私は本当に想われているんだろうか。大切にされているんだろうか。相手の中の私が、私が求めてないことまで相手に求めて、相手はその私ではない私を助けて、ここに生きている私のことは本当は見えていないのではないか。

私は、相手の中にある私になって、本当は求めてないことを相手に求めるフリをしてるんじゃないか。

 

私は、私を、私の意思で蔑ろにしているのだろう。そう思う。まず初めに自分のことを蔑ろにしてしまうものだから、あとから辻褄が合わなくなるのだ。

私は私を蔑ろにするのがうますぎる。無かったことにして、押し込めるのがうまい。最初だけだけど。

いつもそれで失敗してるのにやめられない。自分を蔑ろにしなければ得られないものしかこの世にはないと身体が思い込んでいる。染み付いている。

大きな欠陥だと思う。おおきな壁だと思う。その手段は自分を幸せにするのにはあまりにも程遠い手段だと思う。間違っている。

 

あの時やあの時、本当は声を上げたかったのではないか。

辛くて泣いたのではなかったか。

それが他人には理解されないとしても、私は辛かったのではなかったか。

本当は求めていないのに、相手が求めていると思って、自分を押し殺して相手に応えようとしたのではないか。

その時、私は本当に自由に選択ができていたのだろうか。本当に自由だったんだろうか。

私はずっと、囚われ続けているのではないか。

 

相手の期待に応え続けなければ愛されないというのは、私にとっておおきなおおきな呪縛だ。

 

そこから自由になれる日が来るのか分からないけど、わからないまま生きていくか、死んで終わりにするかの2択しかないから、仕方ない、今生きているのだ。

 

誰かに吐き出さなければ。