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気分の波でサーフィンしようよ

気分の上下を乗りこなすための奮闘記と、カウンセリングの記録が主です。思いつくままに書いてるので文章がめちゃくちゃなことがよくあります。twitter→@gake_hake

カウンセラーに抱擁してもらえたのは有難かったんだよ。

以前にこんな日記を書いた。

私がカウンセラーからの気持ちをうまく受け取れてないのがよくわかる。

彼女が素直な気持ちをくれたのに、それを信じられなかったんだよね、うん。彼女に抱擁された時に湧き上がった信頼感や、安心感は私が受け止めるのには容量が大きすぎたのだろう。そんな大きな「やさしいもの」が私に向けられていいものか!とか思ってしまったんだ。

抱擁だけじゃない。彼女はよく泣くし、慌てるし、声を少し荒らげたりするけど、それらの行動の元にある私へ向けられた強い感情の意味を執拗に追求したのは、その感情を受け取った時の自分の気持ちを信じられていなかったからだろう。今、私は彼女に想われているのだ、という気持ちを。

私に必要だったのは、彼女の行動の意味を追求する事じゃない。なんであの時抱擁したの、なんて聞くことじゃない。

気持ちを受け取った時の私のことをちゃんと信じてあげること。彼女の想いを受け取ってなんかいない、そんなものない、ある筈が無いなんて思わない事。それだけだ。

「彼女が私のことを心配してくれている…。」 

そう思った私は確かに居た。ちゃんとおぼえているじゃないか。あの時どんな状況で、どんな声色で、どんな表情で彼女が私に対峙してくれていたか。その事実を疑ってどうする。心温まった私を疑ってどうする。彼女の行動によって傷ついた自分がいたか?悲しんだか?恐怖したか?どれも違う筈だ。絶対に。じゃ無かったら、何度も何度も彼女にしてもらったことを思い出しては嬉しくてニヤつくなんてことしないだろう。ねえ?

 

私は、もらったあたたかなものを、カウンセラーがくれたものを捨ててしまいたくはないよ。私にそんなものを受け取る資格がないだなんて言って、彼女のくれたものを見て見ぬ振りして、そこには何も無い、私は何ももらうことが出来ないと、塞ぎ込むのは辞めにしたい。

 

ある日のカウンセリングで、塞ぎ込む私を目の前に、「私の気持ちは届かないのかな!?」なんて、こちらに身を乗り出し、絞り出すような声で彼女は言った。私はそんな彼女を見て、なんと言うでもなくただ押し黙っていたけれど、信じることから目をそらし続ける私に必死に向き合う彼女を垣間見た気がした。

思う。今度は私が必死になってみてもいいんじゃないか。私は、私のことをちゃんと信じて、私を想うカウンセラーの気持ちを信じて、そして、カウンセラーだけでなく周りの人達の気持ちも信じるように努力する。

少しづつでもいいから前に進みたいよ。彼女が私と居てくれるあいだに。